一本200円が今夜も続くように
職人さんが目の前で焼いて、
そのまま出来立てをお皿にのせてくれる『焼き鳥』へ。
もう、めッちゃくちゃ美味しい。

カウンターで焼き鳥を頬張りながら友人と「これ、シェフが目の前で調理する鉄板焼き級の体験価値なのに、どれも200円台っておかしくない?」という話に。
たとえば、回らないお寿司もそう。
目の前で職人さんが握ってくれて、こちらの反応を見ながら次の一貫を出してくれる。
その体験には、ちゃんと相応の値段がついている。
なのに、同じように目の前で手が動き続けている焼き鳥では、一本200円が平然と成立している。
職人さんの焼くというパフォーマンス付きでこの安さ。
一本ごとの完成度を見れば見るほど、味わえば味わうほど「おかしくない?」の気持ちがますます強くなる。
このおかしさは何なのか。
仮にこのおかしさを「怒り」だとしたら。
この価値がこの値段に収まっていいはずがないという世界の帳尻の合ってなさに対しての感情。
誰かに向けた怒りというより、相場への反発かもしれない。
または「感謝」だとしたら。
受け取ったものが大きすぎて、素直にありがとうございますだけでは済ませられないときの戸惑いに近い感情。
まあ、どちらにしてもこちらにできる正しい選択は限られてくる。
酔いが回った頭であれこれ考えても答えは出ない。
相場を正す権限もない。
焼き鳥のありがたみをしっかり享受してしまっている身として、行動で示していくしかない。
串が一本くるたびに、こちらの決意も一本ずつ増えていく。
追加注文という意思表示によって。
とにかくいっぱい飲み食いして全力還元。
一本200円の世界が、今夜も無事に続くように。

ごちそうさまでした!!
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